宇多田ヒカル -真夏の通り雨
- 菱田伊駒
- 2017年7月11日
- 読了時間: 1分
「何の前触れもなく過去の記憶がふっと蘇って心を持っていかれるさまをなんて言うんだろう。今回の楽曲を聞いてそんなことを思いました。断片的なイメージの中に、観る人それぞれの記憶が想起されるような映像を目指しました。」(柘植泰人監督のコメント)
ある表現に触れたとき、正体不明のイメージが湧き出してきて、そのイメージが次の瞬間にはどこかで見たり聞いたりしたようなフレーズになる。そのフレーズを書き表そうと思うと、さらに加工されて文章の形になる。
子どもが走る姿をローアングルから映す場面を見て、かつて自分もこのような目線で世界を眺めていたことがあったと気づく。身長180センチから見える世界に慣れきってしまい、1年ごとに目の高さが上がっていく体験はなかったかのように忘れてしまっている。
花火が電線ごしに打ち上げられるシーンを見て、花火が打ちあがった音が聞こえてから慌てて外に出て、家の前にある坂道を走ったときのことを思い出す。
こうやって書いてみたものの、書きたいのはもっともっと手前にある言葉になる前のイメージ、衝動みたいなものだと思う。
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