半分
- 菱田伊駒
- 2018年6月19日
- 読了時間: 4分
場所が変わってからp4cに来るのが2回目のSさんは4年生だ。土曜日は梅田で用事があって時間がギリギリだった。帰ってきて慌ててお風呂に入って髪を乾かす。まだ少し濡れた髪のまま教室に入ると「お風呂はいってたでしょ」と言われてなんだか後ろめたい気になる。遅刻しかけて教室に駆け込み、チャイムに間に合って一息ついた顔を教師に見られたような。最初にこうやってつまづくと、p4cをする1時間の間、ずっとペースを持っていかれてしまう。気を取り直すためには、お決まりのセリフ(p4cの説明、コミュニティボールのことなど)をいつもより時間をかけてなぞっていくのが一番だ。喋っているのは毎回同じ内容なので、頭を使わなくてすむ。口は勝手に動いていて、頭は「うん、落ち着いてきたぞ」などと言い聞かせている。
前はコミュニティボールに対するこだわりがあって、必ず使うようにしていたけど、最近は使わないこともある。p4cの最初に、ホワイトボードに「今日やろうと思うこと」を書き出す。ちなみに、こうやってホワイトボードに何かを書いて、それを読み上げていくのも気持ちを落ち着けるのに役立つ時間だ。書き出すリストの1つに「コミュニティボールをつくること」を入れておく。リストを書き出し終わったあとに、子どもに「他に何かやろうと思うことはある?」と聞くと、漢字クイズ、しりとり、お絵かき、とか色々と出てくるのでそれも書く。そこまでいって「じゃあ何からやろう?」と聞くと大体みんなこれまでの経験もあって「とりあえずボールかな」みたいな流れになる。それでボールを作る、くらいが身構えがなくて心地よいと思うようになった。人数が少ないならなんとでもなるということなのだろう。
Sさんは、ボールが完成したそばからボールを手にもって、毛糸をどんどん抜いていって輪の真ん中に置いていくのが好きだ。話が進むにつれて毛糸がどんどん高く積もっていって、それが話が進んでいくのを表しているようだと思いながら見ている。ボールを壊しているようだけど、作るときの色の組み合わせにはこだわりがあるむしろ色ならなんでもいいだろうと思っている自分の方がボールを大切にできていないかもしれない。Sさんは基本的にずーっと喋っている。話題も次から次へと移り変わっていって、追いついていくのに必死になる。前に来てくれた時はテーマを決めて考えてもらう形だったけど、その方法だとSさんの関心を縛ってしまっていたかも、などと思う。そうやって一瞬自分の考えごとをしているとSさんの話を見失ってしまったような気になる。ボールを作って、本の音読をして、それについて考えて、漢字のクイズをして、あっという間に1時間が過ぎた。
Sさんが帰ったあと、自分は話を追いかけているわけだけど、追われている側はどんな気持ちなのかなと思う。自分は何がなんでも子どもの関心を逃すまいと思って気負いすぎかもしれない。気負っているから必死になるわけで、必死に話題を追いかけられる話し手の気分というのはどんな感じだろう。話したいことを話せる心地よさがあるかもしれないが、もしかしたら追い立てられるようなプレッシャーも感じているかもしれない。ちょっと口が滑って言ってしまったけど、スルーしてほしいと思うこともあるだろう。全部を全部受け止めようとする姿勢は、聞き手としてもちょっと疲れる。そういう疲れは会話の自由さを奪ってしまう。話している子どもも、「さぁ聞くから話してごらん!」と言われると(言われなくても態度で示されると)身構えてしまうだろう。それは、会話の自由さからは遠ざかっていくことにしかならない。
小学生の時のある光景を思い出す。晩御飯が近くなると、母親が台所で作業をしている。自分は、リビングの机で晩御飯までの短い間、簡単な書き取りの宿題をしているが、気持ちは食事の方に向かっていてあまり集中できない。そんなとき、ふっと「今日学校でこんなことがあってさ・・・」と切り出してみたくなる。親は親で、作業をしながらなのでちょっと顔をこちらに向けて軽く「うん」と相槌を打つが、すぐに手元に視線を戻して食事の支度を再開する。半分くらいこちらに関心が向けられているが、残り半分は他のことを考えているような、なんとなくの余裕、スキマが感じられる。それで、話を続ける。その日あったこと、学校、部活、友人、先生の話。
あの時のような、余裕がありつつ、相手としても自分に関心を持ってくれていることが感じられるような。そんな姿勢でいられるとよいと思う。
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